Kenny Rankin
ケニー・ランキンが、6月7日、ロスアンゼルスで69歳で亡くなったそうです。
今朝(といってももう午前1時を過ぎてるから昨日だけど)、銀座に向かう電車の中、携帯電話でネットを見ていて知りました。
この日記は長くなりそうだけど、書いておきたいと思います。
携帯の画面を見て本当に驚いて、ショックで、息をのみました。
一人ではどうしようもない気持ちで、うろたえました。
こういう時、一人では抱えられない時、だれかに伝えたくて分けたくてたまらなくなるんだと思いました。
つい2週間前に、私は初めて自分以外で「ケニー・ランキンは最愛のミュージシャンの一人です」という人に出会ったばかりでした。
彼も(”たおさん”としましょう)、ケニー・ランキンが好きという人は私が初めてだったそうです。
ひょんなことから共通点を知って、私は(きっとたおさんも)うれしくてたまらず、次に会った時は音楽の話をいっぱいしましょう!とメールを交わし、たおさんはアメリカで買ったライブDVDを貸してあげると言ってくれました。
2008年、一人でおしゃれして出かけていったコットンクラブ。
周りにケニーランキンが好きという人がいないから、ていうか「ケニーって誰?」ぐらいの人と行くくらいなら一人で行くほうがましだぜ!と意気込んで乗り込んでとても感動して帰ってきました。
そんな話もたおさんにしました。
次回来日したら絶対一緒に行ってもらおうと思いました。
電車の中、とにかくたおさんしか伝えられる人がいないと思いすぐにメールを打ちました。それまでパソコンでしかメールのやりとりをしていなかったのですが、早く伝えたかったので携帯アドレスへ。
「今知りました。ほんとにほんとに悲しいです。」と
ipodを昭和のジャズからKennyRankinに切り替え銀座に向かいました。
好きなミュージシャンは沢山いる。
でも自分にとって何かが特別な人はやはり一握りで、そこから一人いなくなると本当に大きいんだ。
2月にはブロッサム・ディアリーが亡くなったばかりなのに。
忌野清志郎が亡くなった時、すごい衝撃があった。
時代、動くんだなという大きい衝撃だった。動かない人にとっては何も動かない種類の事だということもわかっているけれど。
あの時、みんなが悲しんだ。日本の中に、悲しんでる人、悼んでいる人、惜しんでいる人が大勢いた。
青山ロックンロール・ショウという名の葬儀が行われた日、町の空気がいつもと違った。
夜まで出かける予定がなくて、朝から家にいたあの日、「なんだろう、なんだか今日の空気はいつもと違う、少し苦しいような、色がへんていうか」と感じてた。夕方テレビをつけて、今日が葬儀の日で、今まさに青山斎場に4万人以上の人々があつまっていると知った。
多分大勢の人たちが悲しんでいる気持ちの波動みたいなものが、青山からこの幡ヶ谷くらいには簡単に届いてしまっていたんじゃないかと思う。
あれはすごかった。
国民が一斉に本気で祈ることで王様の病気が良くなる、とかって実際起こりうるんじゃないかと思える。
この古いマンションの5Fの部屋で私は心の内からというより、窓の外から揺すぶられるように悲しい気持ちになっていった。
清志郎ファンはいいなぁと、今日私は本気で思った。
みんなで悲しいと言い合える、みんなで残念がれる、一人沈む気持ちになっても仲間が近くにいっぱいいるじゃない。
ケニーはロスで3日前に亡くなっていて、悲しみの源は今、日本にいる私の心の中にしかない。
波動はどこにも届かない。
昼の間じゅうそんな気持ちになった。
ケニー好きの友人が出来たせいで私はまた最近ケニーのウェブサイトを見ていた。
Concert Scheduleをクリックしたら、今年9月に一つ予定があるだけだったのでびっくりした。
前はもっといっぱいだったはず。
がんばるなあ!って思ったんだもん。
2008年のコットンクラブで初めて生でケニーを見て、想像より年齢がいっていたことにショックを受けてた私は彼が生きてる間にあと何回ライブを聴けるだろうって結構心配していたから。
かなしいような、いやな気持ちをふりはらいたくてあの日私はたおさんへのメールにこうやって付け加えた。
「彼がいきてるうちにあと何回生で聴けるだろうと心配になります。
また日本に来ないかな、あるいは私が海外で聴ける機会ないかなって思ってます。
2008年のが最初で最後になったら悲しいなぁ。
次回来日したらたおさんを必ず誘います!」
今日見たら、メール送信日時は 2009/06/07 16:01。
ロスはその時2009/06/07 01:01だったはず。
ケニーはまだ生きてたのかな。
そんなことばかり繰り返し思った。
夜は花岡詠二さんのコンサートに行く予定で、でもそんなこんなでぼんやりして電車を間違えたりして、具体的に落ち込んだ。
Memories Of Benny Goodman、コンサートは素晴らしかった。
ビッグバンドはばっちりかっこよくて、花岡さんの音色は美しくて、MCも小気味よくて、ついぼんやりしても身体が勝手に揺れた。ホールは満席。
沈んだ気持ちが少しづつスウィングに吹き飛ばされていくのかな。
音楽の悲しみを音楽の力で癒されているのかな。
アンコールを聞き終えて、少し助かった思いで駅にむかう途中、
携帯の電源を入れたらたおさんからメールが届いた。
「彼のことを知っている人と話ができるのは、ほっとして救われます。
新譜を聴けないし、もう生の声も聴けませんが、
iTunesに入ってるアルバム13枚分の150曲あまりと、
ライブDVD が一枚、手元にあります。
これはきっと、爺さんになるまで手放せないでしょう。
作品は永遠に残ります。
もう彼は天国ですが、残したものがたくさんあります。
ミュージシャンというのは素敵なものだなあ、とも思うのです。」
読んで初めて私はほっと息が抜けて、泣くことができた。
同じ気持ちの人にいて欲しかった、世界のどっかの誰かじゃなくて、もっとそばで。
音楽の悲しみを音楽の力で癒されたあと、音楽を愛する気持ちになぐさめられた思いだった。
ミュージシャンが亡くなってこんなに悲しいのは初めてかもしれない。
ケニーを知ってからまだ6年しか経っていない。
どうしてもっと早く会えなかったんだろう?
聴いてない音源も見てない映像もまだたくさんある。
これからゆっくりたくさん、教えてもらえるし幸せにもしてもらえる。
ケニーが39歳のとき、私は生まれた。
24年の間は知らないうちに、のち6年間は知ってるうちに、同じ時代を生きた。
時に同じ空気を吸い、共有した。
そのことを何より嬉しく思います。
同じ時代を生きてるってことが実はけっこうすごいことなんだっていうことをここ2~3年くらい強く思うようになりました。
ミュージシャンの訃報が続いたのがきっかけです。
20代前半、「ある種の強気」と共に生きてた頃にはちっとも気付かなかったことな気がします。
Kenny、ありがとう。
ずっと大好きだし、ずっと特別です。
あなたの声と音、やっぱり虹色だと私は思う。
音楽を、ありがとう。
| 固定リンク


コメント